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ボランティアやめるか [自然]

DSC06846.jpg(広島のうちのお墓の前の田んぼ)

「ボランティアしに広島行こうと思う。」
7月に妻にこう言ったら
「あー、お手伝いね。おっけー。」
という返事が帰ってきた。


もうそろそろ「ボランティア」に変わるワードが必要だと感じました。
そもそもボランティアは志願兵などの意味から始まっているらしいです。ウィキによると。


災害時の支援でボランティアいくのと、どこかNPOなどの活動に賛同してボランティアに行くのとなんか印象が違うように思います。


災害ボランティアにはいろんな思いがそれぞれの方にあるような・・・。
自分が前に助けられたから、居ても立ってもいられなくて、友達が行くから、経験してみたかったから、誰かの助けになりたかったから、近くだったから、保険が生業だから、友達の為に。


ボラセンに集まる面々は、
そういえば昔派遣のバイトで働いていた時のように、これからどこに連れていかれるかもわからず、でもこのあと確実にきつい作業が待っているのだが、どんな人がグループになるかもわからず、若干不安だが頑張らねばならないという顔をしてバスを待っているようにも見えました。
(昔、派遣バイトきつかったけど、色々頑張ってやってました。)
多少義務感を持ってやってくる人もいるような。
(みんながみんなそうってわけじゃなくて、あくまでも派遣バイト時代を思い出したということです。明るく参加されてるかたもたくさんいて、僕の心境のせいもあるね!)


そうやって、みんながそれぞれの思いを抱えて活動している。
「自分のできることは、たかが知れている」

無意味かも知れないし、偽善かも知れないがそれでも、それでも何かできることはないかと自分に言い聞かせて。



でもね、
「お手伝いに行くんだ」と思ったら単純明快、とってもシンプル。
「ボランティア」ってなんとなく高尚な感じ?自分だけかな。意識高い系みたいな。
「お手伝いに行くんだ」だとなぜか「ボランティアに行くんだ」よりももっともっっと身近でハードル低くなって、隣の人の手伝いをしにちょっくら行ってくっぜ!というぐらいの感じ。

「水害で困ってる人がいるから、お手伝いに行こう」


お金にもならんのにとか色々思うけど、お手伝いならお金にもならんで普通じゃもんね。
でも、鹿児島から?わざわざ行く?一人で?

そういえば奄美豪雨の時も、東日本の時も、熊本地震の時も色々あっていけませんでした。
あんまりもう色々理由つけたくなくて、頑張って仕事一段落させるのに必死で、でも今回は災害から三週間かかりました。




あの時、僕、助けてもらったんで。


全国のたくさんの人に助けてもらいました。
名前もどこに住んどんのかもわからん人に助けてもらいました。
お金も分けてもらいました。
なんで、こんなに助けてくれるんじゃろうって思ってました。
今でも思い出すと泣けてくる。
なので、一生かけて返していけたらと思ってます。


たかだか三日間行ってきただけですが、少しはお手伝いできたかな?
その間、妻子供には家の仕事をがっつり任せて行きました。三日間ガッツリ田んぼ仕事、発送作業など相当しんどかったと思います。
家族にも感謝です。


災害時における、ボランティアに代わる言葉としては縁助活動(えんかつ)とか、結い活動(ゆいかつ)なんかハマるかなと思いましたが、わかりません。
言葉、意外と大事だったりしません?
とりあえず動詞としての「ボランティア」は「お手伝い」がいいなと思いました。

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最後に、被災地広範囲ですが多分どこも人足りてません。
一ヶ月たってもまだ今から復旧というところがあります。
僕が行ったのは広島の「坂町」でしたが、人、もっといるといいなと思いました。
何か支援方法、色々あると思いますが、まずはスコップでの一掻き。これに勝る支援はないなと現地で感じました。

再度行けるか、ちょっと仕事的に微妙ですが、とにかく田んぼも頑張らんないけんので、本業第一で頑張りたいと思います!!

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まだ九州南部は梅雨明けてないのでしょうか [自然]

こんにちは

今日は梅雨明けたんじゃないかと言う天気。
もはや、いっそ、あの雨が憎らしいくらい晴れ晴れと。
思い出すと、あの時もそうだったなぁ。
それでも、九州南部は梅雨明けから取り残され、一人だけ蚊帳の外の西郷どん。


でも、いつもよりも爽やかな空気で、モワッとする感じではなく風もあるので、兼ねての梅雨明け一週目の地獄の暑さという感じではありません。
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そんな中一日畔の草刈り
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黒米もとっても元気そうです。
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さて、本日の本題。西日本豪雨災害についてです。

まずは、西日本豪雨災害で被災され、お亡くなりになった方のご冥福をお祈り申し上げます。
また、避難されている方々、お怪我されている方、住宅が全半壊されてらっしゃる方の、ゆっくりでいいので復旧を願っております。

そして、そして、うちの経験なんて全く当てはまらないかもしれない。屋根まで家が浸かってるんだもの。家の復旧とか泥出しどころの話じゃなくて、全て失うという方もいらっしゃるのかもしれません。
そうすると、多分「は?」ということもあるかもしれません。
でも、もしかするとちょっと似たような状況の方は、これからお手伝いにいく!という方には少しくらい参考になったらと思って書きます。


2年前の9月、鹿児島から宮崎、四国などを襲った台風16号をみなさま覚えている方が、どれほどいるでしょうか。
僕には忘れられません。2016年の台風16号ということで勝手に「1616台風災害」と名付けています。
その時の被害は今、みなさま(と言ってもこんなブログにたどり着ける状況ではないということも承知しています)が経験している災害からするとチンケなものかもしれません。
ですが、あの時のことが、何か参考になればと、改めて振り返って見ようと思ったのです。


ここにあの時とその後を書いたブログがまとまっています。
よかったらどうぞ
https://yamadayasaii.blog.so-net.ne.jp/archive/c2302283043-1

垂水市の出している被害報告です。
https://www.city.tarumizu.lg.jp/hisho/kurashi/bosai/bosai/taisaku/h28/h280918_taifu16higai.html

内閣府の報告書には鹿児島の床上浸水が以上に少ないけれどもどういうことでしょう。
避難勧告も出てないのに床上浸水の被害が大量に出ていたら何か都合が悪いのでしょうか。
http://www.bousai.go.jp/updates/h28typhoon16/pdf/h28typhoon16_04.pdf


当時、ここ垂水市では具体的な数字がわからないですが、確か全壊1戸、床上浸水など含む半壊はかなりの数に登っていました。(70くらい?多分)
降水量は時間雨量141mm(レーダー)が実感としては2時間くらい続いたんじゃないかという風に思っています。
河川が氾濫し市街地では冠水によって床上浸水した家屋もあったと記憶しています。
垂水市は32戸ほど床上浸水して道路が寸断したり、ライフラインが切れたり、橋が渡れなくなったりしていました。え、でも床上浸水もっと多くなかったかな。。。。


河川が氾濫したものの、避難勧告は出ておらず、もちろん避難指示もありません。
床上浸水はうちが床上33cm。
ひどいところは多分200cmほど。よく死者が出なかったと思います。
が、今回の豪雨災害では屋根に登ってようやく逃れている方が見えました。
そして、被害の件数と範囲は自分たちが経験したものに比べたら。。。



何が必要とかそういうのはすでに情報としてまとまっているので、あえてここには書きません。

[1]まずは行政が頼りになるかというと、多分ならないという前提で動くといいと思います。
垂水市は残念ながらあんまり頼りになりませんでした。
住宅を貸してくれたりなどありましたが、うちは借りませんでした。色々な支援情報を知りたいと言ってもないとのこと。だんだんと早く通常業務に戻りたいという気持ちをヒシヒシと。
「まだあんなところに住んでいるんですか」この言葉は忘れられない。
いやいや、今そんな負のエネルギーというか、誰かを疎んだりはいらないかもですね。すみません。
ただ、あの時の気持ちは今も自分のエネルギーになっています。


[2]報道されないというのもぶっちゃけ関係ないです。
垂水は報道のほの字もありませんでした。今回は特に甚大な被害が広域に出ています。被害件数が少なければテレビもまずは来ないでしょう。報道を待つより、行動した方がいいかもしれません。
報道されたらいい訳でもないですし。まずは復旧が早く進むことです。
とにかく今はどんな情報も飛ぶが如しです。
きっと助けはくると思います。


[3]クラウドファンディングで募金を募ってもいいけど、被災者本人が中心に動いては大変です。
垂水市は支援金の募集をしませんでした。
社協も募金を募らない。もちろん被災者生活支援金などは被害件数の関係で支援法に適合せず、赤十字からの物資や県からの物資、市からの気持ちばかりのお金と、大阪から募金が入りそれを分配してくださりました。
募金をしたくてもできないという声をたくさん聞きました。
うちも困窮している。
そこで、そういった声を受けて受け皿を作るという意味でもクラウドファンディングで募金を募りました。知人からの提案でした。
すみません、提案してくださったのに、これに僕たちは心身をすり減らしてしまったのです。
「忘れられた台風災害」https://readyfor.jp/projects/taifu16gou-tarumizu
いやいや、でも支援してくださった方たくさんいらっしゃいます。うちを含め被災家庭は本当に感謝してもしきれないくらいです。本当にありがとうございました。
これは募金ということで、お返しは感謝メールということでした。
レディーフォーにはもちろん手数料が支払われています。



[5]すぐそばには普通に暮らしている人がいる。
これは結構辛いです。
スーパーに行くと、普通に熊本地震の募金箱が置いてあるんです。(すぐそばに被災している我々がいるのに)そして、ちょっと車で行くと普通の日常が戻っている。
朝倉でもそんな状況を見ましたが、この感じはどんな災害でもあると思います。
「あそこの地区の人、大変だったわね」とスーパーで奥様方がお話をしています。

僕は、絶対に負けないと思いました。
災害前よりももっと成長して、あ、いかにもあの時災害に遭われた方ね。それじゃ仕方ないね。なんて思われないように強くなろうと思いました。



幸い、うちはたくさんの方のいろんな形での支援をいただいて、今も同じ場所に暮らしています。
農業も続けられています。


でもね、まだ続いているんですよ。
雨ふると思い出すし、もう絶対に同じことになりたくないと、常に恐れてしまいます。
家も嵩が上がってる訳ではないし、また同じように雨が降ったらたぶん・・・。


[6]
ボランティアさんのさばくり(段取り)
ボラセンが開設されて(1616台風時の垂水は5日後だったと思う)ボランティアさんがたくさん来られると思います。
うちにもたくさんきてくださいました。
友人、知人にはなんやかんや仕事を頼むのは簡単ですが、知らない人に頼むのは難しいかもしれません。というか、その作業を準備するのがもしかすると困難な場合もあるかもしれません。
みなさま能力の高い方が多いと思います。腹を割って色々相談されたらいいと思います。
でも、毎日たっくさんの人と接する中で、だんだんと人とのやりとりがしんどくなることもあると思います。
うちは、作業はボランティアさんに頼んであとは休んどきな、というアドバイスをもらったりしましたが、実際「人に頼んでゆっくり」というのはできませんでした。
うちの周辺ではボランティアさんの段取りをできなくて、ボランティアさんの行き場がなく、山田さんとこなら受け入れオッケーということで、うちに大量の人が入るということもありました。もう脳みそフル回転でした。多分午前だけで50人とかあったかも。
段取りをするボランティアさんが欲しいと思ったこともありますが、その人の段取りもやはり考えなきゃ行けません。
受け入れをする方もたまにはお休みをもらいましょう。
明日頑張って、今日はしっかり休む。そんな日も必要かもしれません。





とにかく、まだまだ色々あると思います。
嫌なこと、苦しいこと、辛いこと、あると思います。
それでもって、生きていくしかないのかもしれません。
うちは本当に一生分の感謝をたくさんの人にしました。
何年かけても返せないくらいと思っています。
人、こんな時こそ人の力すごいです。絶対。

まだ、ちょっと支援しに行けませんが、行きますので、米とかたくさん持って行きますので。
力になれるかわかりませんが、、

思っています。



そして、まだまだ台風シーズンです。
とにかく命です。
事前に避難しておくこと。
命よりも大事なモノってなんでしょう。
家族より大事なモノってなんでしょう。
馬鹿らしいからと、大したことないでしょと避難しないで、大事なものを失ってしまったらいかんです。
誰の身にも起こる。
どこででも起こりうる。


日本では昔から川の氾濫などの災害とともに、田んぼや文化や街が栄えて行きました。
大昔からこの災害と付き合ってきた私たちです。
遺伝子に組み込まれているのです。
僕たちはみんな知っている!助けあって、乗り越えてきたはずです。
そのスコップの一掻きが明日へ続いています。

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新年のご挨拶2017年賀正ー台風16号から3か月半ー [自然]

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新年明けましておめでとうございます!
2017年もどうぞよろしくお願いいたします!


昨年は本当に色々とあり、皆様にはたくさんお世話になりました。
本年はそんな皆様の想いに応えられるように頑張っていきたいと思います。


「あれから一か月、、、」というブログを書いてからしばらく経ってしまいました。
http://yamadayasaii.blog.so-net.ne.jp/2016-10-21
その後、家がどうなってるかを報告したくてパソコンを開きました!


11月にはこの地域への支援を募るクラウドファンディングをOさんの協力をもらって立ち上げ、それもなかなか大変でした。
個人的には本当に色々な方から直接支援金をいただいていた中だったので、さらにご支援をお願いするのは心苦しく、半ば目標金額に達成しなくてもいいかなとも思いました。
これは、自分たちのためにではなく、この地域のためということで始めたプロジェクトでした。しかし、自分たちも被災してなかなか暮らしも元に戻らないということもあり、だんだん他人のためになんかできる余裕なんてものは無くなってきていました。
この苦労はなんなんだろう?なんて思うと・・・。
さらに新聞やテレビからも取り上げられ、世間からは少し注目していただいたかもしれませんが、それは精神的なプレッシャーにもなって山田家を襲いました。
それでもこのプロジェクトは目標に達し、周りの人たちに義援金を配れそうです。ひとまずよかった。まだまだやることだらけで、復興には遠いですが、本当に良かったです。

また、その月は出稼ぎに宮古島に行ったり、毎週イベント出店だったりと怒涛の一か月でした。


12月は何があったかよくわかんないですが、とにかくバタバタでした。後半に熊本と福岡に行きました。一年のいろいろを締めくくるというか、なんだかんだいい年だったと思えるようになりました。それはまた後ほど。


さて、ここからはお待ちかねの我が家の様子をご紹介です!
台所はこんななりました。水害直後。
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土の土間だったのですが、ミキサー車を呼んでコンクリ打設。
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だいたい今はこんな感じ。
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居間は最初はこんな感じ。
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床をはがして。泥の除去。すべての根太を綺麗に磨きました。
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床を張りました。今まではフロアー材とヒノキの切れっ端で床を作ってました。今回はフローリング(パイン集成材)に刷新。
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ここからは壁張りに移ります。板は製材所から到着してすぐに自然乾燥。お日様と風にさらします。
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結局、大晦日になっても壁張りは続きました。いつもなら大掃除って感じですが、大掃除どころじゃありません。そりゃそうだ。家ができてないんですから。
また本を移動して本棚を動かして、3か月に及ぶ壁なし生活も終わりそうです。年末で裕美子の両親、弟も手伝いに来てくれてなんとか居間の壁張りはできました!
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ちょっとまだ片付いてないですが、やっぱり壁があるっていいです。体的にも気持ち的にも暖かいです。
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和室はこんな感じになってます。
これは床をとってるところ。
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みなさんがお手伝いいただいたおかげで板がはれました!
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その上に畳が入る
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押入れの位置は以前、無駄な廊下だった家の中央に位置変更。湿気知らずの押入れにしたいです。
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そして押入れがあった場所はまだ壁がはれてません!もうちょっと!
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下駄箱もできました。
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冬至の日
熊本に行きました。
目的はゆずの冬至の日ライブに行くためです。熊本も本当にまだまだ復旧できてません。
みんな大変だったねと気持ちが通じ合ったライブでした。
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忘年会ということで福岡まで行ってきました。詳しくは書きませんが、一年を締めくくる最高の一日でした。これに参加するためにいろいろ頑張ってきました!
九州で頑張ってるみんなに会えて、フル充電。来年はすごいぞ!!
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奄美時代からの友達にも会いました。ダメ男に磨きをかけてました笑
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九州の食卓のセレクトショップにも足を運びました!素敵すぎる!こんな家にしたい!
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年末には霧島のここゆ農園さんからブリやお野菜がたくさん届き、周りの被災された方々で美味しくいただきました!
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大晦日はさらに家族で餅つきも!
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そんな怒涛の年末。
なんだかんだで家の復旧作業、進んでいます。
本当は年内に仕上げたかったですが、まあそれでもこんなに素敵なおうちになってます!
嬉しいです。あんなんだったのにねーー。

今回、僕たちが決めていたことは、「ただじゃ起きない」ということです。
大変なことあったけど、今までよりももっと素敵なおうちになるように、素敵な間取りになるように、素敵な素材で作るように、素敵な暮らしができるように心がけました。
農家としても、現状復帰ではなく、元のところよりもっともっといろいろできる農家になれるように努めて復旧作業しています。
まだまだ高みを目指して山田家今年も頑張っていきます!
どうぞよろしくお願いします!!


あれから一ヶ月。垂水台風16号 [自然]

垂水に台風16号が接近してから一ヶ月が経ちました。
こちらは被害と復旧の様子をまとめた記事です。
http://yamadayasaii.blog.so-net.ne.jp/2016-10-04
http://yamadayasaii.blog.so-net.ne.jp/2016-10-10

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9月27日に被害状況をまとめた市の報告がこちらです。(いつかこのページもなくなるかもですが)
被害額などはまだ発表がないようです。
http://www.city.tarumizu.lg.jp/hisho/kurashi/bosai/bosai/taisaku/h28/h280918_taifu16higai.html


あの日、一夜にしてうちの生活は一変することになりました。

あれから毎日たくさんの人にありがとうと言ってきました。

これまでの人生で一番ツライけど、これまでの人生で一番幸せだなって思うと前回のブログで書きました。本当にみなさんに助けられました。
気持ちが落ちそうになると必ず誰かが来てくれたり、メッセージが届いたり、物資が届いたり、電話を頂いたり。お金もたくさんの方から支援いただきました。
そのたびに「ありがとう」という感謝の気持ちというか、感動してしまって、なんでみんなここまでしてくれるんだろうとも思ったり、でもそれもひっくるめてとにかく本当に嬉しかったんです。

だから頑張れています。

前回ブログを更新してからずっと、せっせと稲刈りを進めていました。
うちは掛け干ししているので、ここでの労力は半端じゃないです。
でも、ここでもたくさんの助けをいただきました!
すごい!二人じゃ一ヶ月かかったよ!!ありがとうございました!!本当に!!

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こいつは畦でずっとお菓子片手に高みの見物です。本当ずっとせんべいかなんか食べてたな。
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手刈りだと、稲束を結んでとか結構大変です。
ここもみんなで足ズブズブ沈めながら刈りました。
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香り米!
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たくさんの人に助けられて
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なんと裕美子の弟や母もヘルプに来てくれました。家族で稲刈りいいなぁ。
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そうそう、家にはいただいた畳や結局サイズが合わなくて新しいのもありますが、畳が入りました!
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床も張れました!
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床の間の柱は腐ってたので切りました笑。そして石を入れた!
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男どもは揃っておたふく風邪で家にいるし笑
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そんなこんなでようやく本日米取り(脱穀)もはじめました。が、明日から雨という・・・
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それと、今日は市役所に行って、消防署に共済申請に必要な領収書を提出し、福祉課で国からの支援(助成金などの)は特にないということを確認して、農林課で農地復旧の申請をしてきました。市からの見舞金、県からの支援金はあるかもしれないとのことでした。
市のページなどを見ても積極的に義援金などを募集している様子もなく、もうちょっと頑張っていただけたらいいのになとも思います。
大規模な災害があった時に国からの支援がある場合があるようです。みなさんも知っていて損はないかもしれません。
http://manetatsu.com/2016/04/64112/


お金もやっぱり大事です。
車で30万円くらい(まだ確定でないです。増える可能性もあります。減る可能性もある!?あってほしい)、床で25万円くらい、畳で6万円くらい、家電で30万円くらいと、こういった出費が出てきました。(2016年10月20日現在)
農業機械の修理代はまだ不明です。
そして、農地の復旧にかかる負担金についてはまだ不明です。
親に支援してもらったり、みなさんからいただいたお金も使わせていただいています。
保険は家にかけていた6万円は出るようです。

田んぼに土砂が入ってしまったところです。これらが復旧できるかどうか。
3反以上あります。
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いやーでも、
車両保険や、家財保険、火災保険、地震保険。
大事ですね。身にしみました。
でも、かけられるもんならかけてたんですが。

その代わり人とのつながりが僕たちを助けてくれています。
保険はなかったけど、人がいたから何とか生きられている。

たくさんの方が手伝ってくれているので家の修理も材料代で済んでいます。
頼んだら100万円以上かかってたでしょう。
さすがにそうなると、うちも立ち行かなかった。

これからも色々な場面でみなさんにご支援いただくかもしれません。
こんな僕たちですが、どうぞよろしくお願いいたします。
でも、どうにか何かしらの形でお返しができるように、今後あなたの人生に大変なことが起きた時に支援ができるように、頑張ります。
できたら何かしら保険も掛けられるようになろう。

これから、僕たちがどのように歩んでいくのか、見守っていてください。

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本当に、本当に、本当に色々とありがとうございます。
あなたの支えがあるから僕たちは歩いていけます。
歩いていきます!

垂水台風16号災害ー復旧編ー [自然]

どうも山田です
復旧作業進んできました。一度ここで皆様にご報告です!
ですが、まだまだ部屋も庭も納屋の中も荷物が散乱状態。年内で落ち着くのか?まだまだご支援乞うかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。


台風16号によって垂水市、水之上地区は甚大な被害を被りました。
まだまだ家に帰れずに明かりの灯らないお宅も多いです。僕たちはまだまだいい方だ。
被害の一端の一端は前回こちらにもまとめさせていただきました。
http://yamadayasaii.blog.so-net.ne.jp/2016-10-04

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あの日から色々なことが起きている。
目まぐるしく。
精神的にも家にも。

奇しくも今回の災害が起こる前、これまでの垂水での6年間を振り返ったブログがこちらです。
http://yamadayasaii.blog.so-net.ne.jp/2016-09-19

今、山田家は皆様のおかげで元気に暮らせています。
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これまで僕たちは誰かに頼ったり、何かをお願いしたり、甘えたりといったことが下手くそでした。というか苦手だったのかな。
できるだけ自分たちで自分たちでと思ってやってきました。引っ越して最初は全く友達いなかったから全部自分たちでっていう感じで、それが癖になってたんでしょうか。。

でもね、今回のことがあって、全部頼ろうって思ったんです。甘えようって。
僕たちだけの力ではとても対抗できないことが起きたってのもありますが、こんなにも僕たちは人に恵まれていたんだってことに気がついたから。
こんなにもたくさんの人が僕たちを支えてくれている!!

もうね、これまでだったら遠慮していたかもしれないところを遠慮せず、全部乗っかろうって。
遠くから来てもらって申し訳ないとか、「いやいやそちらも大変なんだからお金なんかいいですよ」とか、忙しい時期だからいいですよとか、今回はそういうのやめようって。

僕ら全然お金なんか持ってないけど、これまで大したこともやってきてないけど、色々な場面での人とのつながりが、僕らの最大の財産です。
それに気がつけたから
これまでの人生で一番ツライけど、これまでの人生で一番幸せだなって思う。



僕たちはこれを機にまた一歩成長したいと思います。もっともっと面白いことやっていこうと。
じゃないとこんなに支援してくださった皆さんに申し訳がたたねー。
みなさんの支えになれるようになんなきゃダメだなって思うんです。


そして、頑張って見守ってきたお米の収穫も始まりました。
米はいつまでも待ってはくれません!もう暦は寒露です。
何よりもこれから僕たちが生きて行くためにはお米を売らなければいけません。
待っててくれている人がいます。
何より、このために一年頑張ってきたんだもん。
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もうちょっと待っててくださいね。必ずお米、お届けします。


そして、災害からの復旧の様子もこれから紹介します!

当日の朝何から始めよう。家の中はもう”わや”です。
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まずはご飯!すぐにパンなどの食べ物をみなさんに届けていただきました。ありがたかったー!
色々な保存食やお水もたくさん!きちんとお礼ができていませんが、みなさん全てきちんと届いております!改めてまた御礼差し上げますがひとまずはここでお伝えします。
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まずはみんなが使う道を通れるようにし、そのあと自分の敷地はスコップでひとすくい、ひとすくい泥をかき出していきました。最初は二人で。
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でも次の日からは本当にたくさんのひとが!!!涙
みんなで考えながら一つ一つ前に進んでいきます。
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いい天気が続きます。
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床もやっぱり剥がさなきゃだめってことになり、床下の泥や土台や根太についた泥も丁寧に掃除!!そして乾燥!
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公民館にもしばらくお世話になりました。幸いうちだで使わせてもらえて子供達も走り回り。
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泥も何度軽トラで運び出したか!人がいると進むすすむ!
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重機の力もやっぱり偉大。
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いっちょまえ
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そして、
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床が入るともう家で寝れそうな気がしてきます。
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そうそう、自分でも今日やることとかわかんなくなるので、こうやって書き出して一応みんなに見えるように。
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水神様も綺麗にできた。泥に浸かったとは思えない。
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板間もどんどん張れてきた!
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台風から約二週間後、ようやく家で寝られる!子供達にとってもこれはやっぱり嬉しかったんだなー。
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6年ぶりにタンクローリーも来た。
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土間打ち。やはりむずい。
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川に映る夕焼け。やっぱり綺麗だなー。あれだけの事あったけど、やっぱりこの川は綺麗だ。
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そして、今日は花火を家族で。花火ができるっていいなぁって思いました。
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あれから二十日が経とうとしています。すごく長かったような。。。
たくさんの方に作業をお手伝いいただいたり、料理を届けたりしに来てくれたり、食料や野菜や支援品を届けてくださったり、こういった災害時の情報を提供、お金の支援、ボランティアの方の後方支援、励ましのお言葉、そして状況をたくさんの人に届けて支援を呼びかけてくださったり、少しでも気にかけてくださっただけでも本当にありがとうございました。全部が力になりました。



今回たくさんの方にお世話になり、すべての方を紹介したいところなのですが、まず一番に色々な情報をまとめてくれたり、発信してくれたり本当に大変な役を買って出てくれた「こころの野菜https://www.facebook.com/Kokoronoyasai/」の松野下夫妻、君たちがいてくれなかったら僕らはまだ泥の中だよ。本当にありがとう。こんなに色々やってくれて、そして自分たちにはこんなにたくさんの人とのつながりがあるということに気づかせてくれたのはあなたちです。本当にありがとう。
またキャンプ行きたいな。
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みなさんのお陰でなんとかかんとか山田家生きていけそうです!
明日の事はどうなるかわかりませんが、皆様の応援に応えられるように頑張っていきたいと思います☆

とにもかくにも、このような災害が今後あまり起きないことを願います。
皆様が健やかな暮らしを営めるように祈っています。
そして、今年中にみなさんにうちのお米を食べていただける会を開けたらと思っています。また案内します!

垂水台風16号災害ー被害編ー [自然]

僕たちは垂水市の水之上地区に住んでいますが、9月19日から20日にかけての台風16号で、大雨により本城川が氾濫しました。
家は浸水、田んぼは川になり、山は崩れ、道は通れなくなりました。死者行方不明者は幸いいませんでした。床上180センチの浸水を被った家屋もあり、倉庫がなくなったり、被害は大きかった。ギリギリのところで僕たちは生き抜いたんだと思います。

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「誰もいない森の中で木が倒れたら音がするか」

水之上の今回の被害はどこメディアにも取り上げられず、被害自体を誰も知らないという状態がありました。垂水市や鹿児島県内の方も知らないということがあって、支援も遅くなるということがありました。ボランティアセンターの開設も遅れ、赤十字から物資が届いたのは10月3日です。。。
僕は少しでもこの状況をみなさんに知ってもらって、「木は倒れたんだ!」こんなことが起きていたんだ!と言いたいです。

誰も知らないまま、小さな集落が自然災害で無くなっていく。
そんなことがこれからも日本中であるかもしれません。
それは寂しい。僕は生きている!と声を大にして生きよう。


夜、雨風が強く寝ていられず、せっかくだから報道ステーションに阿蘇の野中さん特集があるということで見ていました。その間子供達はよく寝ている。鈍感?でもいいなーと感心。長男だけは何度も起きてきてました。しかし、台風関係で野中さん特集は放送されず。


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このあたりで外壁脇にシートをかぶせてあった苗箱たちが飛ばされ始めました。
外に出ると一瞬でびしょ濡れ。トタンは舞ってるは、ゴミ箱は飛んでるは、ということで苗箱を回収、重石を置いて速攻屋内へ!!途中背中にトタン板がぶち当り、少々負傷。これは外にいると死ぬ・・・。


そうこうしているうちに台所と主屋の境から尋常じゃない雨漏りが始まりました。
せっせとバケツをたくさん置いてなんとか凌ごうと頑張っていました。
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いつの間にか土間にじわじわと水が湧いてきて(という感じでした)、あれ?あれ?としているうちに水位はどんどん上がってます。

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玄関にも水が!外を見ると外は川!
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こりゃいよいよやばい!!(ここで夫婦はすぐに作業着に着替える。ほとんど無意識に)
大変な状況だけど、頭は冴えている。冷静でありアドレナリン出まくりであり。

子供を起こして、冷蔵庫の下の段にあった種を棚の一番上に、洋服や通帳、お米などを机などの上に!豆板醤も守らなきゃ。

優先順位は!?何が大事だ!?今何をするべき!?

ああ、ついに床の上に水が!

畳が空飛ぶ絨毯みたく浮き始める。スイー
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子供たちを机の上に!しかし、米や加工品でいっぱいだ!狭いところに座らせる!
机が水で浮き始める!
「お父さん!浮いてきた!怖い!」
納屋の二階に避難なんてことはすでに不可能。
よし、これは屋根裏に避難だ!
脚立は外、取りに行くのは命取り。椅子を使って上へ登ろう。先に僕が上へ。子供達を順番に引き上げる。
「天井に乗ったらダメだよ。天井が抜けて下に落ちて死ぬからね」
三男は何度か天井をぶち抜きそうになってました。
棟木にハンモックを引っ掛け、梁にいたをかけてその上で少し休みました。ランタンがあって良かった。

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上から娘が言いました。
「家がどろんこになっちゃったから、綺麗なおうち建てたらいいね!」だそうです笑
「早く引っ越そうよー♪」だそうです笑


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結局床上30センチに水位に
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ようやく水が引き始めた。
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家は
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鳥とヒヨコはノアの箱舟に乗っていたのか・・・。
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翌朝、外は泥の海。
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どこの冷蔵庫だかわかんないし、どっかのトタンはうちの屋根に損傷をもたらした。
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本城川、ここが溢れた・・・。
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とにかく唖然。

まずは道を確保。
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田んぼは川に。
ここは不耕起栽培で古代米を育てていましたは、彼らはこの泥の中です。
今年は古代米の販売はありません。申し訳ありません。
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畑はニンジンが・・・。
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元の生活に戻ることができるのか。
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ここまで生きてきて、初めて僕たちは水害という大きな災害に接しました。これまでの32年は運が良かったんだ。災害は誰にも起こりうるのだと改めて思いました。
奄美豪雨は僕たちが奄美を出て一ヶ月後に起き、東北の震災はその約半年後。そして熊本地震。
僕はそれらに対してきちんと支援できなかった。そんなことも思いました。

こんな大変なことが普通に日本中で起こるようになる。
きっと知らないところで起きていることもたくさんある。
メディアだけでは本当のところはわからない。
きっと、人と人が繋がってみんなで乗り越えていかなければいけない。


今回、一夜にして暮らしが一変した山田家ですが、絶望しながらもやっぱり生きていかなければいけない。熊本や東北ではもっともっと大変だったと想像できる。

何より家族みんな生きている。

さあ!ここから僕たちの復旧作業が始まるのですが、それはまた次号のお楽しみ!
山田家に夜明けがくるのか!絶望の淵から立ち直れるのか!

家族で開聞岳登山2012 [自然]

先日、開聞岳に家族で登ってきました!

まずは朝から早起きをしなければと前日からすこしドキドキしながら床に着きます。
朝4時半に起きようと思ったらなんと、5時半に起床!目覚ましならず!!
まずい!急げ!

垂水から登山口に着いたのは9時でした。
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いい天気です。車で向かう途中は山頂も雲がかかってましたが、登り始めは晴れていました。

はじめは素敵な小径がつづきます。5才の長男は余裕、3才の次男はなんとか登って行きます。
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5合目には登り始めて1時間10分ほどで到着。なかなかの眺め。

しかし、父(私)は娘の重みが少し肩にこたえています。まだ1才だというのに重い…。
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長男岩場もなんなくクリアして行きます。

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次男必死です。なんども「オンブーーー」とせがみますが、登るまでは自分で頑張らせます。

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山頂手前!この景色が見えたらもうすぐてっぺんだ!

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おっと、その前に難関のはしごを上って…

やったーーーー!!!
家族5人無事登頂です!
気持ちいいぃぃぃぃ!すばらしい眺めが臨めました!この時期なかなかてっぺんは雲で眺望が聞かないのですが、ラッキー!
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山頂には3歳児に合わせて登ったこともあり、9時10分登り始めて、13時に登頂でした。しめて4時間弱。しんどー。
でもゆっくりと14時まで上で休んでいたので、ちょっと頑張って下山しました。
5合目までは次男君は背中の上で寝てました。
それから下までは自分で走りながら降りて行くのを見ると、すげー体力だなと感心。
登山口にもどったのは17時近くでした。
疲れた!9時から17時まで全行程8時間!わお

山頂付近でタゴガエルの幼体かな?
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あと、蝉の羽化中
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山頂の眺め
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また登ろうね☆*
長男「いや、もういいや!」
次男「もういい!」
こいつらが山の辛さを忘れた頃にまた、どっか登ります。

高隈山の大箆柄岳登山2012春 [自然]

本日息子2人と大箆柄岳に登ってきました。
写真をたくさん紹介します!
まずは今から登ります!頑張ります!という1枚。
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まだまだ元気です。この時点で9時半でした。

奄美では野生絶滅しているアセビ(正確にはリュウキュウアセビ)も本土には普通に見られます。標高の高い所はまだ咲いていました。
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そしてホコリタケ。この胞子を出させたら子供らは嫌がってました笑
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ふーやっと5合目だー。眺め最高!ここで小休止。
おむすびをひとつずつ頬張る。この時点で11時。大丈夫か!?
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途中コケの胞子を飛ばすやつ?みたいなのを見つけた。
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あと
笹竹のトンネルの中に緑の妖精を見つけた。なんだか幸せになれそう。
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そして登頂!!ここで1時。子供らは本当に頑張りました。
「もう帰ろう!」の連発でしたが、なーんだちゃんと登れたじゃん!
長男は全部一人で歩ききりました!すごい!(5才)
次男もほとんど自分で登りました。大分背中を押してあげましたが、それでもすごい!(3才)
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この景色にはこども達も感動していた様子。小さい体に達成感というものが湧いているのを感じました。チャレンジして良かった!!
標高1236m本当におつかれさま。

下山は4時。往復6時間半に及びましたが、大人の方なら5時間くらいで往復できそうです。
下りはさすがに次男はオンブです。長男はズルゴケまくったのでケツを真っ茶色に染めて帰還。
そして最後に国立公園にも編入された高峠から「あの一番高いところに登ったんだよー」と説明。
「ふーん」というそっけない返事。さすがに疲れたね。菜の花がきれいでした。
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霧島錦江湾国立公園 [自然]

鹿児島県にまた新たな国立公園ができるようです。
その名も霧島錦江湾国立公園。
それは霧島・屋久国立公園を分割し、既存の霧島地域、桜島地域などに加えて世界的にも希少な海のカルデラ、鹿児島湾岸にいくつかの新しい地域が国立公園に指定されています。
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=37226

垂水市にも高峠という場所が国立公園に指定されるようです。
眺めいいですもんね!
垂水市がんばらねば。
この国立公園の誕生で鹿児島の自然がより一層親しみやすく、いいバランスで保全されることを期待します。

大隅荒平天神トワイライト [自然]

今日高須から海沿いを垂水に帰っている途中、荒平様がとても神秘的でした。
大隅の宮島だな
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